※これまでの【「声の調律」が生まれた背景】をまだお読みでない方は、こちらからどうぞ。

【「声の調律」が生まれた背景〈その1〉】
【「声の調律」が生まれた背景〈その2〉】
【「声の調律」が生まれた背景〈その3〉】
【「声の調律」が生まれた背景〈その4〉】

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2002年7月からのボストンでの生活は、時に大変ではありましたが、実に充実した楽しいものでした。

ボストンという街が持つ雰囲気が自分に合っていたこともありましたが、全く知り合いがいない状態で飛び込んだ街で徐々に知り合いが増え、言葉が理解できるようになる過程はとても新鮮で、ホームシックになる暇すらありませんでした(笑)。

私は、ロクに話せない頃から会う人会う人に、自分が何故ボストンに来たのか、何がやりたいのか、を伝えました。ボキャブラリーや文法はともかく熱量だけは120%で! なんとか少しでも自分が目指す道を切り開くためにも必死でした。

現地の日本人の方も含め、少なくとも300〜400人以上の人に話したり尋ねたりしたと思います。パーティーで挨拶した人でもできるだけ話しましたから(笑)。

ですが、ほとんどの方には理解してもらえず、大学院のことも含めてなかなか有益な情報を得ることもできませんでした。そりゃそうです。自分が日本語ですら上手く説明できなかったんですから(笑)。

ですが、向こうの人達の多くが私の話すことを聞こうとしてくれて、「よくわからないけど、応援してるよ」とポジティブに反応してくれたことが救いでした。中にはわからないなりに「こんな情報見つけたよ」と教えてくれる人もいて、その優しさに泣けました。

また、徐々にわかってきたのは、私が目指そうとしていたことはアメリカですら未開な分野だということでした。

ただ、その時はまずコミュニケーション系の大学院に入学することが大命題。焦る気持ちを抑えつつ、語学力の向上と大学院探しをしながら、傍らでボディワークやヨガなどが日本よりも遥かに普及している現状を肌で感じる日々でした。

冬も大好きなスキーすら行くことを封印し、娯楽といえば学生料金で見れる映画を語学力向上の意味も兼ねて観たり、たまに友人達と開いたパーティーくらい。旅行もほとんど行きませんでした。
※今振り返るとストイック過ぎましたねぇ……(^^;)。

その後、ボストン市内のとある大学院を受けました。単発ながらヴォイス・トレーナーがその大学院でクラスを持っていたり、ちょうど語学学校の先生の1人がそのコースの学生だったことなども重なり、面接を担当してくれたスタッフの方もとても丁寧で、私が目指す方向についても理解を示してくれました。

結果は、コミュニケーション分野ゆえもう少し語学力が欲しいということで条件付きでしたが、なんとか入学は認められました。

ようやく道が拓けた!

……と喜んだ矢先、学費などの工面が困難になるという事態が起こったのです(^^;)。

当初はこの局面をなんとか乗り越えようとしたのですが、様々な角度から検討した結果、帰国することを選びました。

hiko-ki

1年数ヶ月のボストン生活に区切りを付けて帰国した私は、アーテム・トーヌス・トン(以下ATT)の教室通いを再開しつつ会社勤めを始めたのですが、そこで上司との折り合いが付かず次第に鬱状態になり退職。すぐに知人の紹介で新しい仕事を始めたのですが、その仕事も取引先から一方的な契約打ち切りという憂き目に……。

ボストンで結果が出せず、帰国後の仕事はなかなか上手くいかず、お金も全くなく、という正に八方ふさがりな状態でした。精神的にも肉体的にも追いつめられてボロボロでした……。都内の実家に住まわせてもらえていたことだけが救いでした。

そんなある日、1通のメールが届きました。

それは、第2回ロルファー™(ロルフィング®施術者)養成トレーニングが東京で開催されることが決まったという、ロルファーさんからの一報でした。

このメールにより、八方ふさがりだった私の人生は一気に動き始めることになるのです。

〈その6〉に続く。

※次回で終わります(^^)!!

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クラニオセイクラル・ワーク
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